2010年7月16日金曜日

情報とぼくとの距離

情報とぼくとの距離

例えば人と話すよりパソコンに向かっている時間が多いこと
作業としてじゃなく、なにかしらの情報収集として

現実の人との会話で
そして現実に起こった出来事の話をするなら

その情報は、ぼくと近い



一方で、ニュースやネットといった媒体ベースの情報は
身の回りの現実に比べれば、
もっともらしそうな情報、重要そうに見える情報が多いように見えるが
遠い空間の出来事に他ならず

むしろ
ぞういった媒体ベースの情報の役割は、
身近な出来事に対する保険だ


メインとサブに割り当てるなら
身近な身の回りの出来事がメインで、サブが媒体ベースの情報収集であるべきかと
思うのだけれど・・・



元々、教育の過程で
身近でない出来事を知ることは、よいこととされて来た

教育でなされたのは
家族や友達、近所の人間とどう上手くやっていくか、よりも
数学か人間の歴史を学ぶことだ
そしてそれは良いこととされてきた

媒体ベースの情報は
おれみたいなヲタが現実から逃げ出すのには
まさに格好のツールであった

身の回りは怖くて近づけないので
遠くの出来事を知るのに時間を費やし
そしてそれはどこかもっともらしく見える
なんて



ディスプレイに向かうのは楽だから
楽だからなぁ

そして
それなりに疲れるし
たまに、とても有益”そうな”情報にめぐり合う

それがご褒美として機能しているだけに
これは完全に中毒だろう
しかも有益”そうな”情報がでる確率は低い
これは博打とかパチンコと、概念としては変わらないものだ
完全な中毒だ


しかし
何度、巡回をやめようとしたことか
ショボンあんてな、オワタあんてな、はてなブックマーク、mixi、Google Reader・・・

うーん
楽に時間を過ごせる
”褒美”も得られる
強敵だ


とにかくやめてみる、というのは
続かないから結局だめだ

環境を構築しろ
合理的に自分を導け

・・・つまり
ディスプレイより楽しい日常ってやつが
獲得できればいいんだよ

うーん
・・・とりあえず論文考えるか








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