2012年3月5日月曜日

意見の正しさはつまるところ好みと信心による

情報が氾濫すれば
それを如何に取捨選択するかが必要だ

震災以降、twitterなどで
デマの流通や風評被害といった情報の取り扱いに関する問題が騒がれているが
いまのところ、特に決定打はない


さて
ここでは、twitterなどで多く流通するようになった”意見”について
以下の図に整理を試みた

意見には、客観的な意見と主観的な意見がある。
客観的な意見は主に研究によって得られるが、これは多大な労力を必要とする。

インターネットを闊歩するほとんどの意見は主観的な意見である。
なぜなら研究は多大な労力を必要とするから。


意見の正しさはつまるところ好みと信心による
我々は意見をやり取りする。
もし、その意見が客観的な根拠を有する場合には、
続けて、”根拠”を参照して、妥当かどうか”検証”する。

しかし、往々にして”根拠”を参照すること自体が億劫だし
ましてや、クソ忙しい中”検証”するなどもっての外だ
そもそも、そんなスキルすらないことのほうが多い

したがって、大抵の場合、
その意見を自分が欲しているかどうかという自分の希望
ってか個人の好みと

情報源をどれだけ信頼するかという情報源の信頼性
というかもはやただの信心
で評価されている


震災以後で、「原発は大丈夫」という政府や大学など意見があり、
また、客観的な根拠を有していたとしても
情報源の信頼が失われている時点で、もうどうしようもない。
当然、その意見を採用するには至らない。

仮に百歩譲って、その客観的な根拠について検証するとしよう。
しかし、そもそも情報源が怪しいのであれば、
数字だって改竄されているかもしれない、やはりどうしようもない。




ぼくが考えた最強のアイデア\(^o^)/
いかに 正当で 素晴らしく 一片の曇りもない意見であったとしても
それを発言する情報源に信頼性がなければ
今のところ、あまり意味がない



おわり






<メモ1:イノベーションに関する議論では、手軽でなにかもの足りないようなものが革新を起こすと言う。その観点でいえば、例えば主観的意見が一覧できるように集められるなどすると、研究を大なり小なり駆逐するかもしれない>

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