2010年8月16日月曜日

居亡くなることについて

居亡くなることについて

お盆なので
人がいなくなることについて
少しと思うところを書いてみる


どうやって
人が、
特によく見知った者が
居亡くなったことを知るのだろうか


例えば、ぼくは
叔父が亡くなったことを知っているだろうか


叔父が亡くなったという話を親類から聞かされた時

その情報は自分にとって
現実と繋がっているのだろうか、いや繋がってはいないだろう(反語




お盆や葬式といった各種儀式が
この情報を現実と繋げる作用を持つとして

身近な死に関する情報というのは
繰り返し繰り返し
連綿と繰り返す儀式の中で

その(”その人はもういない”という)情報が
ようやく知覚できる

あるいは、そのイメージを保つことができる



……



これは
情報を現実の感覚として捉えることがとても難しいケースを表わすと共に
実際、ぼくらが気軽に情報を扱うようになったけれど
その間の乖離は思いのほか大きいことを教えてくれる


また
シというものは
ぼくらにとって極めて現実的な問題でありながら
意外と実感が湧きにくいものらしい




シとはなにか

例えば
シとは更新のない写真のことだ


おわり

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