2010年7月5日月曜日

文章における露出

文章における露出

結論から言えば、
我々が外出する際には衣服を着て
体を覆い隠すように

文章を書くにあたっても
隠しておくべき話、書いてはならない話がある
ということだ


これまで
僕が日記を書く上で目指してきたコンセプトは
「ぼくの全てを記述する」ことだった
そこには、陽々とした話題ばかりではなく
自分では見たくないと思う陰鬱な心情や過去も
等しく取り扱うことを目指した

むしろ自分では隠しておきたいと思うことほど
書き出しておくことにしていた


このコンセプトが生まれる背景はいくつかあるが
一つには
これらweb上での文字列というのが
「すべての未来」に繋がっているからである

「すべての未来」とは文字通りの意味で
mixiがデータを消滅させない限りにおいて
あらゆる未来の人間が見ることができる

学部の時の研究で、
僕はmixiのデータを解析する研究を行ったが

同様に未来の誰かが
これを用いて研究を行うことは容易に想像できる

ここに書き出す文字列が
そういった未来に繋がるとするならば

文章を書いていくにあたって
”これは書く価値もない話だな”と現在思ったとしても
未来ではそうとは限らない

それゆえに
現在において
話を思いついたのであれば
「書くor書かない」といった判定は

取りも直さず
常に「書く」を選択すべきだ、と

そういうコンセプトでもって
これまでここに文字列を晒してきたわけだ




しかしながら
そういった表現をしていく中で
なにか歯の奥に詰まったような違和感を覚えていた

それは特に
苦悩の類や陰鬱な心情を吐き出す際に感じられるものだ

それが即ち
文章における過ぎた露出であった、
というのが今のところの認識である

何を露出してはいけなくて
何は露出してよいのか、といった規範は
まだ明確に出来ていないが

少なくとも
まったくドレスコードのない匿名とそれなりに配慮された非匿名の
両方の言論を目にする機会がある人間は
「ここで露出してよいのかどうか」の区別を意識しておく必要がある

匿名はよく裸踊りをするが
それを他の場でやればドン引きである


これまで散々、
露出狂とも言えるような文字列を公開してきた
私が言うのもどうかと思うが

匿名における開けっぴろげな感覚を非匿名の場に持ち込むことは
パンツ一丁で外にでることに等しい

反省はしている



とにかく
特に非匿名の場においては
文章における「恥ずかしい」の感覚を
弁えておく必要がある


家と外の境目がなくなった時
行き着く先はホームレスでしかない

インターネットが普及した現代においては
それとまったく同じことが
ただ単に文章を書くという行為の中にも表れてくる

書く文章は、きちんと衣服を着たものでなくてはならない
ということだ


くわばらくわばら

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