2010年12月27日月曜日

シグナル理論による娯楽の投資性

シグナル理論による娯楽の投資性




消費と投資について考えていて
悶々としていた

一つの考え方としてある
『限りなく投資をすべきで
消費は限りなく減らすべき』
という思想の行き着く先なんだけど



学問をおさめるような
教育を受けることは投資か?

一般的には投資と捉えられている気がしている

しかし、本当にそうか?
学歴が得られなくても投資だろうか?
実益のなさげな数学科や哲学科でも投資と呼ぶだろうか?
それは時間の消費というか娯楽と言って差し支えないんじゃないのか…

一方で
シグナル理論は、孔雀の羽とか
一見して完全に無駄な装飾的な、行為なり形式がその個体の健康や他の個体に比べての優位性を示す
というものだということで

アクセサリをジャラジャラとつけたり
あるいは、同様に東大中退みたいに学歴を消費したりすることが
生物が生きる上で重要な一つの要素、あくまで一要素だけど
と説明する



生き方はとにかく多様だから
消費的なシグナルだって出せばいいってもんじゃない

しかし
たぶん消費は、
するなら派手でなくちゃいけねぇんだろうなー


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