2010年7月29日木曜日

リラックスできる程度の能力

リラックスできる程度の能力


生まれて初めて見つけた考え方の誤りについて

昨日から今日にかけて
まだ見つけたといえるほど明確ではないのだけれど
間違った考え方とはなにか、その尾端を踏んだ気がする


状況を整理しよう
まず、課題が与えられた。
「今日中あたりに、そのレポートを書いて提出してくれ」

そして
その期限には、間に合わなく、
締切りの日は過ぎてしまった


しかし
その間にかなり多くの葛藤があった、
結局寝てしまったのだが
寝ている間、朝起きるまでずっと葛藤していたような感触すら残っている

その葛藤は「しなきゃいけないと叫ぶ心」と「動かない体」だ


ぼくがミスだったと思っているのは
「しなきゃいけないと叫ぶ心」を用意してしまったことだ


今回、いくつかの条件が重なったと思われるのだが

例えば、
ひらめきが必要な創造性の高い案件であったこと
締切りに対して課題を達するのはもう不可能に見えたこと
締切りそれ自体の定義が曖昧なこと


そういうわけで

ひらめきが要求される場合に、「しなきゃいけない」という発想をすると
視野を狭め、ひらめきの生じない状態にしてしまうので
結果として、課題の達成が全く不可能に感じられる
のではないか

という仮説ができ

では
多くのひらめきが要求される案件には
ひらめきを生じやすい状態にしておくことが重要で

ひらめきを生じやすい状態とは
リラックスしている状態で

風呂に入っている時
移動している時
トイレにいる時
にアイデアはよくでる


今回、焦って”しなきゃいけない感”がでてくる場面で

僕の場合、単純作業のような案件がほとんどないので
むしろ
強力にリラックスする、ということを考えるべきか

というのが
今回得た動作仮説


しかし、これは自分が持っている常識に反していて
頑張らなければいけない時ほど頑張ってはならない、というパラドックスと化している

これは難しいことなのだけど
というのは、普通、危険が近づくと反射的に防御反応をし、リラックスとは逆に体はこわばっていく
だから、これは習得しなければいけないスキルで

納期がやばい、という危険の中にあってもリラックスできるということを
習得しなきゃいけない

考えを束縛しないことを





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