容疑者xの献身、
おもしろかった
ついでに色々、考えさせられるところが特によかった
社会とは、人を動かす圧力、在り方、そして人の価値は、とか
あと
研究室の友達と観たわけだが
その後、映画の感想について話し込んだ
ぼくは映画の感想について
ちゃんと人と話すのはこれで2回目なのだが
それでふと思ったのは
むしろこの部分、(人格の異なる人間が、一緒に観た映画について話すこと)の方が映画の本体なのではないか、って気がしてきた
どこが良かったとか、悪かったとか、
ハラハラしただとか、楽しかっただとか
そういう事を”話す”ために
みんな、人付き合いで
映画館なり
テーマパークなりに足を運ぶのかぁ…と
そんな仮説を立ててああ、そう考えると
これまで自分が提供してきたデートのようなものの設計はクソだな、と
愕然としつつ
感情の生起することが音符で
それを会話によって共有することを休符と見立てる、
そういう類推(アナロジー)を使うとすれば
例えば、デートというのは、デートコースのスポットが音符で
スポットとスポットの間の道程での会話が休符で
音楽と同じなら、休符を引き立たせるように設計すればメリハリが生まれてくる、とか思ったり
あと
他の人と食事に行くなら
他の人と食事に行くなら
過去のあるどう感じたかという感情を
ちゃんと引き出せるようにしておかないとダメかもしんない、とか
ついでに
どの場面で何を思ったかを
すぐみんなに伝えることができる、という意味で
ニコニコ動画ってよくできてんな、とか
…そんな有耶無耶を夢想しながら
今日は寝ます
おやすみzzz