2010年11月19日金曜日

記憶、思考、その配分

記憶、思考、その配分

前々から思考(考えること)と記憶(覚えること)については
不思議に思うことが多かったのだが
↓の記事があったのでついでにまた少し考えてみたい


人間の脳、地球上の全コンピュータより多くのスイッチを持つ--スタンフォード大学

”1つのシナプスは、それ単体でただのオン/オフスイッチというより、記憶装置と情報処理の両要素を伴うマイクロプロセッサとして機能する。”

記憶装置と情報処理の両要素を伴う…ということで
以前、わたしは記憶と情報処理は同じリソースではないかと思っていたのだが
あながちそのイメージも遠くないらしい

しかし、厳密には、同じことを言っているわけではない
”両要素を伴うプロセッサとして機能する”のであれば、その二つの機能が同時に行われることも可能かもしれない
だが、わたしの感覚はそうではない
わたしのイメージでは、両要素の内、どちらか一方を利用できるプロセッサだ


これはなんらかの研究成果ではなく、経験と推論に基づく仮説に過ぎないが
情報処理には大きく3つある

情報を受け取る
情報を吐き出す
情報を改変する(思考)

そして
それぞれが記憶と関連づけられる

最初の主張に戻るが
情報処理と記憶は同じ一定のリソースである、というのが私の主張である
同じ一定のリソース、というのことは
情報処理にリソースの100%を費やしたならば、その時記憶をすることはできない、ということ
記憶をするためにリソースの100%を費やしたならば、その時情報処理をすることはできない、ということである
よって、記憶と情報処理を同時に行うには、このリソースを配分しなければならない、ということだ


ここで幾つかの思考のパターンについて考えてみる
”思考”とは、元々自分が持っている情報が何らかの改変が加えられることである。

”熟考”
熟考とは、何も書かず何も喋らず、
頭の中で言葉かあるいはイメージを弄ぶ、つまりは、自問自答である
わたしはよくこれをやる

”発話”
発話とは、単純に喋ることであるが、これは元々持っている情報を吐き出すだけではなく
何らかの改変が加えられることが少なくない。
主に情報を共有する、情報を吐き出す性質が強い場合もあるし
議論のように、思考する側面が強い場合もある。

”執筆”
執筆は、文章を書くことである。
発話と同じく、情報を吐き出すだけでなく、執筆が行われると完全に同時に思考が行われる。
”熟考”してそれを文章にする、というのではなく、書いている行為自体が思考を伴っている。


これらの思考の三形態を考えるに
”言語”が思考に影響が深いことが分かる。
言語を伴わない思考は、”熟考”と”執筆”の亜種である”描画”(文章ではなく図形や絵を書くこと)であるが
一般的ではない。

そしてついでだが、
例えば、言語を使い、熟考しながら話すことはできないように
”言語”を利用する回路は一つしかないらしいことが経験的にいえる。


さて
話を元に戻そう
思考は、情報処理の一種であり、
情報処理は、情報の授受と改変の一連のプロセスだが

先に主張したように
情報処理と記憶は一定のリソースによって行われる
記憶にリソースを割くほどできる情報処理の量が少なくなる
それを踏まえて前述の三形態について言及する

思考とは情報に何らかの改変を加えることだと定義したが
改変を加えるためには情報を何らかの形で保持しなければならない
発話、執筆においては、音声あるいは文字という形で情報の改変するために必要な情報の保持が行われる
音声による情報の保持は、文字に比べ一時的なものに過ぎず
議論など高度な情報処理のために、音声で情報を十分に保持できない場合には、文字を使って情報処理が行われる

熟考においては、頭のリソースの半分を情報の保持に割く。残りの半分のリソースで思考する、ということを行う
よって、発話や執筆に比べ思考の速度は格段に遅くなる。
しかし、文字情報ではなく頭のリソースを使って情報を保持する場合には、極めて曖昧で捉えどころのない情報も保持することができる。
よってそれを利用した思考も言葉にできない何かを含む、より抽象的なものを扱うことができる。

ここで少し”記憶”について言及しておく
”記憶”は長期記憶として”記憶されている”場合、それがリソースを食うことはないが
それが思考をするためにとり出される時、その情報を保っておくためにリソースを使う、このことがこれまで記憶と呼んできたものである
一般的な記憶とは少し意味合いが違う


さて
これといって結論はないのだが

熟考は思考の速度が遅く
またその抽象度の高さ故、思考の迷路に陥ってしまうことも少なくない
日常の中で、”不安”が自分の精神を圧迫する場合には、
この”熟考”と”思考の迷路”が組み合わさって頭のリソースをほとんど喰われている場合がある
その場合には、発話や執筆がその思考の迷路を抜けるのに役に立つ



<まとめ>
汝、喋りなせぇ、書きなせぇ


おわり


Popular Posts