リラックスできる程度の能力
生まれて初めて見つけた考え方の誤りについて
昨日から今日にかけて
まだ見つけたといえるほど明確ではないのだけれど
間違った考え方とはなにか、その尾端を踏んだ気がする
状況を整理しよう
まず、課題が与えられた。
「今日中あたりに、そのレポートを書いて提出してくれ」
そして
その期限には、間に合わなく、
締切りの日は過ぎてしまった
しかし
その間にかなり多くの葛藤があった、
結局寝てしまったのだが
寝ている間、朝起きるまでずっと葛藤していたような感触すら残っている
その葛藤は「しなきゃいけないと叫ぶ心」と「動かない体」だ
ぼくがミスだったと思っているのは
「しなきゃいけないと叫ぶ心」を用意してしまったことだ
今回、いくつかの条件が重なったと思われるのだが
例えば、
ひらめきが必要な創造性の高い案件であったこと
締切りに対して課題を達するのはもう不可能に見えたこと
締切りそれ自体の定義が曖昧なこと
そういうわけで
ひらめきが要求される場合に、「しなきゃいけない」という発想をすると
視野を狭め、ひらめきの生じない状態にしてしまうので
結果として、課題の達成が全く不可能に感じられる
のではないか
という仮説ができ
で
では
多くのひらめきが要求される案件には
ひらめきを生じやすい状態にしておくことが重要で
ひらめきを生じやすい状態とは
リラックスしている状態で
風呂に入っている時
移動している時
トイレにいる時
にアイデアはよくでる
今回、焦って”しなきゃいけない感”がでてくる場面で
僕の場合、単純作業のような案件がほとんどないので
むしろ
強力にリラックスする、ということを考えるべきか
というのが
今回得た動作仮説
しかし、これは自分が持っている常識に反していて
頑張らなければいけない時ほど頑張ってはならない、というパラドックスと化している
これは難しいことなのだけど
というのは、普通、危険が近づくと反射的に防御反応をし、リラックスとは逆に体はこわばっていく
だから、これは習得しなければいけないスキルで
納期がやばい、という危険の中にあってもリラックスできるということを
習得しなきゃいけない
考えを束縛しないことを