お盆なので
人がいなくなることについて
少しと思うところを書いてみる
どうやって
人が、
特によく見知った者が
居亡くなったことを知るのだろうか
例えば、ぼくは
叔父が亡くなったことを知っているだろうか
叔父が亡くなったという話を親類から聞かされた時
その情報は自分にとって
現実と繋がっているのだろうか、いや繋がってはいないだろう(反語
お盆や葬式といった各種儀式が
この情報を現実と繋げる作用を持つとして
身近な死に関する情報というのは
繰り返し繰り返し
連綿と繰り返す儀式の中で
その(”その人はもういない”という)情報が
ようやく知覚できる
あるいは、そのイメージを保つことができる
……
…
これは
情報を現実の感覚として捉えることがとても難しいケースを表わすと共に
実際、ぼくらが気軽に情報を扱うようになったけれど
その間の乖離は思いのほか大きいことを教えてくれる
また
シというものは
ぼくらにとって極めて現実的な問題でありながら
意外と実感が湧きにくいものらしい
シとはなにか
例えば
シとは更新のない写真のことだ
おわり